教育基本法の「改正」ではなく、
今こそ、教育基本法が生きる学校と社会を
―中央教育審議会答申の問題点とその危険なねらい―
2003年5月16日 子どもと教育・文化を守る埼玉県民会議


はじめに

 中央教育審議会は、3月20日、答申「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」を発表しました。答申は、「21世紀を切り開く心豊かでたくましい日本人の育成を目指す観点から、今日極めて重要と考えられる教育の理念や原則を明確にするため、教育基本法を改正することが必要である」としています。 私たち、子どもと教育・文化を守る埼玉県民会議は、教育基本法の「見直し」は行うべきではなく、守り生かすことこそが求められているとの見解に立って、2000年から県内各地での数多くの地域集会と3度に渡る県民集会を開き、教育基本法「見直し」反対を訴えてきました。また、本年3月末までに、13万2000筆の教育基本法を守り生かす県民署名を集約し、また4月1日の埼玉新聞紙上に2340名、1146団体の賛同を得て、意見広告「いま平和がいちばん、だから教育基本法を守り 生かしましょう」を掲載しました。私たちばかりでなく、国民の中に広く存在する「見直し」反対の声を無視して、中教審は教育基本法の「改正」を答申しました。現在開かれている第156国会には、この中教審の答申に基づいた教育基本法の「改正案」が上程されると見られています。私たち県民会議は、中教審答申を以下のように分析しました。この答申の路線で教育基本法の「改正」が行われれば、教育の困難はいっそう増大するしかありません。私たちは、中教審がこの答申を撤回するとともに、政府が教育基本法の「改正」をすみやかに断念するように求めるものです。

1 中教審の審議は公正に行われたのでしょうか。

 中教審の答申に至る経過は、あまりにも不公正です。  教育基本法の「見直し」は、首相の私的諮問機関である教育改革国民会議で、「新しい時代にふさわしい教育基本法を」と報告されていましたが、文部科学大臣は、文部科学省の正式な審議会である中教審には、この国民会議と同様の結論を得るためにだけ形式的に諮問したのではないでしょうか。そのように考えざるをえないほど、中教審には不公正な運営が目立ちました。たとえば、委員の過半数の出席が得られずに正式に成立していない会合が5回もあったこと、議論がまだまとまっていないのに事務局が作文したものを「中間報告」として公表したこと、公聴会では「改正」に賛成する人に偏重した人選を行い、さらには、1月30日、答申がまとまらないうちに委員の任期が切れると、ほぼ同じメンバーを再任して第2期中教審として発足させたばかりか、その際に、1月までは諮問する側の事務方の責任者であった文部科学省事務次官を、臨時委員に選任したこと等々です。内容の是非以前に、このような不公正な運営によって出された教育基本法の「改正」の結論はとても容認できるようなものではありません。

2 教育基本法「改正」の根拠は示されたのでしょうか

 答申は、日本社会や学校教育のかかえる課題について列挙していますが、これらの課題について、あるいはその原因や解決の展望について、科学的にくわしく検討した形跡がありません。また、これまでの教育政策や教育行政を問いなおすこともなく、家庭や地域社会の教育力の低下、青少年の規範意識の低下や教員の資質の問題などをとりあげ、原因と解決の責任を子ども自身や教員、家庭、地域に転嫁しようとしています。しかし、答申のあげる課題は、教育基本法が「改正」されれば解決するようなもの ではなく、むしろ、教育政策や教育行政に教育基本法を積極的に生かすことによって解決すべき課題であり、教育基本法をこれまで軽視してきたことにこそ原因を求めなければならないものです。また、グローバル化や情報化の進展、地球環境問題の深刻化や科学技術の進歩などの時代や社会の変化に教育が対応できていないことも「改正」の理由にあげられていますが、教育基本法は、これらの課題への対応と矛盾するものではありません。教育基本法を「改正」しなくても、具体的な施策によってこれらの課題への対応は十分に可能です。中教審は、なぜ教育基本法の「改正」が必要であるかについて明確に根拠を示すことはできなかったのです。

3 国家による特定の人間像の押し付けは人権としての教育と矛盾します

答申は、教育基本法の基本理念は、「憲法の精神に則った普遍的なものであり、引き続き規定することが適当である」としながらも、「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」をはかるために、「新たに規定する理念」を教育基本法にもちこむことを主張しています。憲法・教育基本法に規定される教育は基本的人権であり、人権としての教育は一人ひとりの人間の自己形成を促進し、支援する営みです。戦前の教育のように、国家が特定の具体的な人間像を押し付けたり、その形成を図ろうとすることは、教育を国家に奉仕させるものであり、人権としての教育のあり方に反するものであるとの認識から、教育基本法では、教育をめぐる理念や価値の問題については抑制的な定め方がされているのです。答申は、教育基本法の理念を大切にするといいながら、「21世紀を切り開く心豊かでたくましい日本人」という特定の具体的な人間像をもちだしていますが、これは、明らかに矛盾した行為であり、人権としての教育を定めた教育基本法の根本的なあり方を否定するものでしかありません。

4 「新たに規定する理念」−国家主義と「能力主義」の危険性

@答申は、「日本の伝統・文化の尊重」「郷土や国を愛する心」「国際社会の一員としての意識」「『公共』の精神」「道徳心」「自律心」などが大切だとして、こうした国家主義的な理念を教育基本法に規定することを求めています。アメリカによるイラクへの侵略戦争に対する支持を小泉内閣が世界に先駆けておこない、自衛隊を海外に派兵するという危険な政治情勢のもとで、国家主義を教育基本法にもちこもうとすることは、「戦争をする国を支える人づくり」をねらうものであり、「戦争のできる国づくり」としての有事法制体制を教育の場で支えようとするものにほかなりません。
A答申は、「個性に応じた」教育を口実に、「能力主義」にもとづくエリート教育のいっそうの強化を打ち出しています。「大競争時代」をむかえた国際社会で競争に打ち勝っていくことのできる日本人を育成するためであるとして、具体的には、就学年齢の弾力化や小中一貫校、中高一貫校などの多様な形態の学校、あるいは保護者による学校選択や教育選択など、すでに動き出している複線型の学校教育体系へのいっそうの移行を主張しています。1998年、国連・子どもの権利委員会は、日本の教育システムがあまりに競争的なため、子どもたちが強いストレスを感じていること、それが子どもたちに発達上のゆがみを与え、子どものからだや精神の健康に悪影響を与えていると指摘し、適切な処置をとるよう勧告しました。答申は、この勧告にも背をむけ、子どもたちをさらに競争的な教育体制に投げ込もうとしているのです。

5 教育振興基本計画による国家の教育への介入は認められません

 答申は、教育基本法に、教育振興基本計画の根拠条項を置くことを求めています。基本計画でこれからの教育の目標と教育内容を細かく規定し、教育基本法がその法的な根拠を与えることで、国家の公然とした教育介入に道を開こうとするものです。もとより、教育基本法第10条は、教育行政の役割を「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」に限定しています。しかし、教育振興基本計画の根拠条項が教育基本法に置かれると、政府の教育にかかわる国家戦略を、法律によらず、閣議決定のみで実施できるということになります。これは、教育基本法の第10条が禁止している教育に対する行政の不当な介入以外のなにものでもありません。また、答申は、「必要な諸条件の整備」に教育内容なども含まれることについては、既に判例によって確定しているとものべて、教育行政は「教育内容」にも介入できるとの見解をとっています。しかし、答申がその根拠にしていると思われる旭川学力テスト最高裁判決は、「教育内容への国家的介入は、できるだけ抑制的であることが要請される」「誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を強制することは許されない」などと述べており、教育行政が無制限に教育内容に介入・干渉することを許しているわけではありません。

6 「男女の共学は認められなければならない」の削除には根拠がありません

 特に埼玉の現状から、この答申に対して指摘しておかなければならないことが一つあります。それは、答申が「男女共学の趣旨が広く浸透するとともに、性別による制度的な教育機会の差異もなくなって」いることを根拠にして、教育基本法の第5条「男女の共学は認められなければならない」を削除するとしていることです。しかし、日本の国内には、別学の国立大学、別学の公立高校が存在し、埼玉では「男女別学校の当面の存続」が教育委員会で結論づけられたばかりです。中教審が、自分たちに不都合な基礎的な事実については、その事実すら無視して、恣意的な議論をしていることはここでも明らかです。
 教育基本法の「見直し」の論議以前から、文部科学省は、教育基本法など存在しな いかのように、ときの政府の政策課題や財界からの教育要求をそのまま教育にもちこ んできました。教育基本法が十分生かされてこなかったどころか、ときにこれが無視 されてきたことが、教育が陥っている困難のもっとも大きな原因です。中教審答申の 主張どおりに教育基本法が「改正」されても、教育はまったく良くならないどころか、 その困難はいっそう増大することになるでしょう。 今求められているのは、教育基本法の「改正」ではありません。今こそ、教育基本 法が真の意味で生かされる教育が求められています。 県民のみなさん、教育基本法の「改正」を阻止し、教育基本法が生かされる学校や 社会をつくるために、ともに声をあげましょう。