イラクは今―イラク戦争とアメリカの「民主主義」
高遠菜穂子さん講演

 秩父市ユネスコ協会準備会主催による高遠菜穂子さん(イラク支援ボランティア)の講演会が、3月25日に秩父市歴史文化伝承館で開催されました。講演に先立ち、高校生たちによるオリジナルの詩の群読が披露されました。群読は、戦争で殺されるイラクの子どもたちと、いじめ問題などで苦しむ日本の子どもたちを通して、“命”について考えさせるものでした。

イラクの惨状が報道されない理由―「報道の壁」の存在

講演する高遠菜穂子さん 私は2004年4月にイラクでの拘束から解放された後は、イラクには一度も行っていません。イラクの隣国ヨルダンに、2ヵ月に一度15〜16回行き、アンマンを拠点にしてイラクへの支援活動を続けています。 2003年4月28日、ファルージャでイラク住民がアメリカ軍に抗議し、「イラクを占領するな!」「学校を解放しろ!」と抗議デモが起こりました。その住民デモ隊に米軍が発砲し多数の死傷者が出ました。しかし、マスコミは全く報道しませんでした。報道を妨げたもの、私はそれを「報道の壁」と言っていますが、それは二つあります。一つは、ファルージャ市民が外国人に対し不信感を持っているからです。特に欧米諸国は、アメリカのスパイだと彼らは思っています。だからファルージャ市民は、欧米のジャーナリストには協力しません。しかし、日本人は歓迎されています。日本のジャーナリストには協力します。ところが、日本人は米軍には歓迎されていないんです。米軍に拘束されビデオを没収された日本のジャーナリストは沢山います。それが二つ目の理由です。

レジスタンス、米軍、外国軍の武装勢力

イラクではファルージャを中心に、米軍に殺された遺族たちが武装をはじめ、レジスタンスを起こします。ところが2003年6月から、外国軍の武装勢力がイラクに入って来ました。彼らはイスラム教スンニ派の過激派です。特に有名なのがアルカイーダです。その過激派と米軍、そしてレジスタンスといった三つどもえの状態となっていき、それがイラク戦争の混戦を招いた原因の一つになりました。

米軍による化学兵器の使用

高校生たちによるオリジナルの詩の群読 2004年4月、米軍によるファルージャ総攻撃がはじまりました。このとき私は拘束されました。この米軍による1回目の総攻撃は失敗に終わります。そして11月に、2回目の総攻撃が行われます。死者は6000人以上。このとき米軍は、化学兵器を使った可能性があります。そのときの映像がこれです(会場のスクリーンに死体の映像が映しだされる)。もし、気分が悪くなったら目を伏せてください。死体の顔面に群がっているのは、ウジ虫です。この死体のからだは燃えて真っ黒なのに、服は燃えていません。非常に不自然な死体です。また別の死体には、皮膚が青くなったものがあります。これにはウジ虫が付いていません。さらに別の死体は骨まで燃えてしまったものがあります。これは白リン弾(酸素に触れると発火し5000度で骨まで焼き尽くす)が使われた可能性があります。このことを、国際世論が取り上げたのは1年後です。イタリアが指摘し、化学兵器の使用をアメリカは認めました。

「これがアメリカの民主主義か」

「これがアメリカの民主主義か」とイラク市民は言います。2005年1月30日に、イラク初の国民議会選挙が行われ、シーア派が圧勝し、アッダワ党のジャファリ首相が誕生しました。しかし、それにはウラがあります。スンニ派は選挙に行こうとすると米軍に捕まるのです。  また2005年5月に、バグダッドで市民が集団殺害される事件が起きています。その圧倒的多数がスンニ派の市民です。自宅から警察に拘束され、変死体となって戻ってきます。死体を見ると、拷問の跡があり手錠がはめられたままです。葬式には、ハンディカメラを持った市民が沢山います。この様子を市民たちが記録に撮っているんです。横断幕には、「イラク国営放送はどこへ行った」と書いてあります。村の有力者が、葬式で市民に向かって語っています。彼は「宗派の対立を起こしてはならない。この責任は、イラク政府にある」と言っています。  いま、米軍に代わって警察の役割をイラクの民兵組織が負っています。民兵は、市民に「お前はシーア派かスンニ派か」と質問し、スンニ派とわかると逮捕され拷問し死に至らしめます。そんな「スンニ派浄化作戦」が行われているんです。イラク南部は、シーア派とスンニ派の住み分けがはじまっています。いまイラクの中では、シーア派とスンニ派が戦っていて、それに油を注いでいるのがアメリカです。

カーシムさんの証言―米軍に逮捕され…

高遠さんとカーシム・トゥルキさん 今日、イラク西部アンバール州のラマディーという町から日本にやってきたカーシム・トゥルキさんが来ています。彼の話を聞いてください。 カーシム―ラマディーは、ユーフラテス川が2つに分かれている三角州にある町です。この町は、アメリカ軍に包囲されています。そこでは、毎日たくさんの犠牲者が出ています。学校も道路も閉鎖され、民家が占拠された状態です。医療サービス、電気、水もない、食べ物も不足している状態です。市民は、1日に3時間だけ外に出られますが、あとは家の中です。  僕は、昨年の9月に米軍に逮捕され、夜中に連行されました。家の家具は壊され、お金も盗まれました。僕は英語でブログ(インターネット上の日記)を書いていました。内容は、主に日常生活です。それで世界の人々からメッセージが届くようになり、アメリカのマイケル・ムーア(映画監督。『華氏911』が有名)から記事を書いてほしいとか、ボストンの新聞社がブログを公表したいと言ってきて有名になってしまいました。それが原因で逮捕されたのかもしれません。でも本当の理由はわかりません。  刑務所ではひどい扱いを受けました。1日2回、全員の前で素っ裸にされました。米軍からブログについて質問されました。僕がレジスタンスのためのプロパガンダを行っていると疑っていたようです。  僕は、戦争中は兵士でした。しかし、今はイラク青年再建グループを立ち上げ、学校や消防署を再建しています。救急車は米軍から空爆されるので、消防車がその代わりとなっています。イラクの再建を高遠さんたちと協力しながらすすめています。  今日は、みなさんに話ができて幸せです。そしてこれが最後でないことを祈ります。また、他のイラク人が日本にたどり着いて、話ができることを祈っています。

高遠菜穂子さんプロフィール

 北海道千歳市出身。2003年3月にイラク戦争が勃発し、米・ブッシュ大統領の「大規模戦闘終結宣言」が発表さ れた5月1日にイラクへ初入国。NGOと共に病院調査、医療品運搬、学校再建などを行う。また、路上生活する 子どもたちの自立支援にとりくむ。2004年4月ファルージャ近郊でイラクの抵抗勢力に拘束される。2004年8月よ り隣国ヨルダンからイラク支援を再開。バグダッドで路上生活の子どもたちに「子ども自立支援プロジェクト」と して就職斡旋と職業訓練、またファルージャでは破壊された学校を再建する「ファルージャ再建プロジェクト」を イラク人と共にすすめている。