安倍政権における改憲の新段階と改憲阻止の展望
渡辺 治さん(一橋大学大学院教授)講演

 埼高教は、8月9日〜11日伊香保温泉ホテルきむらで、第52回夏期講習会&第314回拡大中央委員会を開催し、134分会210名が参加しました。第1日目は、渡辺治さん(一橋大学大学院教授)の講演を行いました。

参院選後もなぜ安倍首相は居座ったか?

 安倍さん自身の問題として、祖父の岸信介のまねをして頑張りたいというのが一つの理由。岸信介の果たせなかった改憲を実現したいと思っている。もう一つは、財界が早々に安倍さんが辞めないということを認めたこと。改憲をしてくれる人は、安倍さんしかいない、安倍さんが辞めたら改憲はできなくなると考えたからです。

なぜ、安倍政権は改憲に手をつけたか?

講演する渡辺 治さん  90年代の冷戦の終結による社会主義の崩壊によって、世界の経済と政治が大きく変わりました。それまで世界人口60億人中の自由主義国陣営10億人の中だけで行われていた経済活動が、中国やインドなど社会主義国と第三世界の50億という世界に市場が拡大されたことです。いまや日本の企業の3万社が中国へ行っています。中国は格差社会ですが、暴富と言われる上流階級は2億人とも言われ、夢のような市場となっています。なおかつ賃金が安い。福建省では日本の32分の1の賃金です。「ユニクロ」の急成長は、本社以外の全部の製造を中国で行い、格段に安い賃金で生産したことです。そうして経済がグローバル化すると、最大の問題は治安の安定です。そこでアメリカが世界の警察官として活躍し、日本も一緒になって世界の安定のために自衛隊の派兵を、日本の企業が求めるようになりました。
 自衛隊の海外派兵のためには改憲が必要ですが、それはなかなか難しい問題だった。それで、憲法9条はそのままにして自衛隊を海外へ出そうとした。それが解釈改憲です。国際平和のため、アメリカを後方支援することなら憲法に反しないと解釈し、新ガイドライン体制をつくり、テロ特措法などをつくってイラク派兵を行いました。しかし、イラクに派兵してみて、改めて憲法9条の足かせを自覚することになります。イラクで自衛隊が行ったことは、水の供給。しかもオーストラリアとイギリス軍に守ってもらいながら。いったい何のために来たんだとアメリカから言われた。ラムズフェルド国防長官(当時)は、2005年に日本に来て、防衛庁長官に向かって「自衛隊はボーイスカウトだ」と侮辱しました。そして、2005年1月に日本経団連の奥田会長(当時)は『我が国の基本問題を考える』という報告書で「9条は改正すべきだ」と書いた。これは日本の大企業が改憲で初めて一致したということです。そこで登場したのが、安倍さんだったのです。

安倍政権は改憲実行のために何をやろうとしているのか?
―その1:クルマの両輪戦略

改憲実行のためには、2つのハードルがあります。いわばクルマの両輪で、憲法96条の「この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議」するということと、国民投票において「過半数の賛成」が必要だという2つの高いハードルです。憲法制定のとき、GHQが「オレたちがいなくなったら日本の軍国主義者が復活して改憲を企てる。そうならないように国民にイニシアティブをとらせる必要がある」として設けた規定です。その高いハードルをクリアーするため、まず「三分の二」をとるために、民主党を抱き込む戦略をとります。
 ところが、タカ派がつくった憲法草案では、変えたいのは9条だけではありませんでした。児童虐待や親殺し、ネットカフェ難民など、日本社会の秩序の崩壊は、教育基本法や憲法の個人主義が原因であり、家族の道徳が崩れているからだと彼らは考えます。嫌いだからすぐに離婚してしまうのは、憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」の規定が悪いと。そして憲法25条はもっとダメで、福祉や介護は国家まかせにしないで家族が責任を負うことにする。憲法26条の「教育を受ける権利」も、権利でなく義務にして、内容も伝統と文化を教えると書かなければいけないと。
 このタカ派がつくった憲法草案を見て、小泉はびっくりした。民主党は展望を失い、公明党は烈火のごとく怒った。それで、小泉は本部長になって、自分で新憲法草案をつくり直しました。そこでは、24条・25条・26条には手を触れないで、9条に焦点をあて、しかも集団的自衛権とは書かないで「国際社会の平和と安全を確保するために」としました。この新憲法草案に、タカ派の安倍さんは不満でした。ところが、総理になった瞬間に受け入れます。それは民主党と公明党に受け入れてもらうためです。そうして「三分の二」のハードルをクリアーしようとしたのです。
講演を聴く会場の様子  クルマの両輪の第2のハードルである「国民の過半数」を突破するのは、改憲手続法です。絶対に改憲を通すしくみをつくらなければなりませんでした。国会の中で「三分の二」が賛成して発議できた後に、もし国民投票で負けたらおかしなことになります。賛成した議員は、誰を代表しているのかということになってしまいます。  そこで、一番影響力のある教員と公務員の地位利用禁止の運動規制を設けました。政党や労働組合、9条の会で中心的役割を担っているのが、教員や公務員だからです。しかし、これにはまやかしがあります。地位利用として影響力があるのは、むしろ議員や企業です。「企業ぐるみ選挙」は日本特有のものですが、例えばホリエモンが9条改憲に賛成しなければ首だと言えば、立派な地位利用です。しかし、使用者の地位利用は問題にしない。さらに「組織による多数人買収・利害誘導罪」もあります。埼高教や9条の会などの組織が、若者を集めるために、若者に人気のグループのコンサートなどを開いて、それとセットで9条改憲に反対の訴えをすると、この罪が適用されます。
 また、改憲賛成派のトヨタや日産のような大企業が、湯水のように有料広告を出して、例えば金正日とテポドンの映像を流し「これでいいですか?憲法9条を改正しましょう」のコマーシャルが大量に流される問題もあります。

安倍政権は改憲実行のために何をやろうとしているのか?
―その2:改憲2本建て戦略

安倍首相は、解釈改憲戦略を始動させています。4月26日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が立ち上がりましたが、これは9条を解釈で変えて海外で武力行使することを検討するものです。この解釈改憲と明文改憲の2本建ての戦略をとっています。なぜか。まず、アメリカが3年待ってくれないということ。そして参院選で負けて、明文改憲は危うくなってきたということです。

安倍政権は、なぜ参院選で負けたのか?

 安倍政権には、いままでの政権にはなかった2つの特徴があります。一つは、これまでは派閥による政権でしたが、安倍さんは、派閥の横断的なタカ派集団に支えられた政権であり、かつアメリカ財界にも支援されているということです。もう一つの特徴は、大都市部の上層部や中間層が、これまでの小泉政権の構造改革を推進してくれる安倍さんに期待をしていると同時に、小泉さんの抵抗勢力としてこれまで痛めつけられていた地方の人が、安倍さんなら構造改革を止めてくれるのではないかと思われていることです。いわば、構造改革推進派と構造改革反対派の両方に支持されて安倍政権は誕生しました。
 安倍さんは、タカ派に支えられているために、国民の中の保守層から「安倍さんの改憲は、もう一度戦前に戻すためではないか」と思われ始め、安倍さんの改憲はよくないと多くの保守層が言い出しています。また、財界からも靖国問題や従軍慰安婦などの歴史問題などは、中国との関係ではマイナス要因であって、中国との信頼を回復してもらいたい、中国には歴史問題できちんと謝ってもらい、今の自衛隊は戦前とは違うと言ってほしいと考えています。アメリカも、従軍慰安婦問題では、安倍さんに不信感を持っています。ブッシュが、イラクに侵攻したのも、フセインが東条英機と同じ侵略者で、自由と民主主義を守るためだと説明してきたのに、その東条を支持する安倍さんという関係になり、おかしな話になってくるからです。
 このように、安倍政権は2つの相反する支持基盤をもっているわけで、大きな股裂き状態にあります。それが参院選で負けた一つの大きな要因としてあげられます。

改憲阻止の展望

講演を聴く会場の様子  今回の選挙で注目されるのは、自民党の票が民主党にいったということ。全体で7割弱の票が、自民党か民主党にいった。12.4%が社民党と共産党でした。前回の選挙と比べて、自民党の票が民主党にいっただけです。しかし、落ち込む必要はありません。苦しいのはむしろ向こうです。9条改憲に『読売』の世論調査でも51%が反対です。この3年間で反対が増えています。その要因は、3年前の2004年6月に9条の会ができ、今6000を超える会となっていますが、絶対に新聞は書きません。小田実さんが亡くなって、葬儀のあいさつが加藤周一さんや大江健三郎さんでも、9条の会のことは記事になりません。しかし、9条改憲に反対の世論がこの3年間で着実に増えています。さらに、安倍政権誕生で多くの人が疑惑と懸念を表明しています。
 『毎日』の世論調査では61%が9条改憲に反対でした。このデータを基に計算すると、今回の選挙の7000万票のうち61%は4300万。810万票が改憲反対の社民党と共産党でしたから、残り3400万票は、自民党や民主党に投票しながら9条改憲に反対した人たちです。この人たちと手をつながなければいけない。学校の中で、過半数を考えてみたときに、組合のビラを目の前でビリビリと破り棄てるような人とも話をしていかなければなりません。これまで経験しなかった過半数をとるというたたかいをしなければならない。
 私は憲法が生まれた年に生まれました。私が生きている間には、改憲はさせない。それどころか、この21世紀は憲法9条が日本で具体化されるような展望が拓けているということを協調して私の話を終わりにします。