2011年4月4日(月)から7日(木)まで、全教・全労連が提起する現地支援ボランティアとして宮城に入りました。
                                          Photo by ngsw@[無断転載を禁じます]

 
仙台市内の様子。(2011.4.4)
(左)修復工事中の仙台駅。ようやく在来線が一部で運行再開したところだったが、7日夜の余震で再び不通に。
(右)宮城野区のマンション。屋上部分が傾いてしまっているが、多くの住人は住み続けているようだった。


 
塩竈市の様子。(2011.4.4)
(左)津波でなぎ倒された信号機。倒れなかった信号機もまだ消えたままで、警察官が交通整理をしている。
(右)塩竈市役所の受付に置かれた支援の飴。埼玉県のお菓子業者が、メッセージとともに贈ったものだった。


 
多賀城市の様子。(2011.4.6)
(左)工場地帯から津波によって押し流されてきたタンクローリーが、民家にぶつかり家を大破させていた。
(右)民家の玄関に打ち上げられた乗用車。この家では玄関から出入りができない状態になっている。


 
(左)名取川に近い仙台市若林区。東部道路より海側は車両通行止で、これ以上海には近づけなかった。(4/7)
(右)3/31の河北新報1面。津波の直撃を受けた気仙沼市にある県立高校校舎。波は4階まで達したという。