*「どうなる?どうする?障害児教育」
8・22シンポジウム*
基調報告
 
実行委員会事務局
 
はじめに
 
 今、障害児教育が急速かつ急激に転換されようとしています。今年3月末に文部科学省調査研究協力者会議は「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」(以下、「最終報告」)を、また埼玉県においても、1月に前知事が「すべての障害児に普通学籍」構想(いわゆる「二重学籍」構想)を発表しました。本集会は、こうした転換期のなかで、あらためて養護学校義務制25年の到達点を充実・発展させる立場から関係者が一堂に会し、今後の障害児教育のあり方を考えあうことを目的に開催します。
 
1.文科省「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」の特徴と問題点
 
 「最終報告」は「障害の程度に応じた特別の場で行う『特殊教育』から障害のある児童生徒一人一人の教育的ニーズに応じて適切な教育的支援を行う『特別支援教育』への転換を図る」という基本的方向が示されました。従来の障害児教育では対象にされなかった、通常の学級に6%在籍するとされるLD、ADHD、高機能自閉症への教育を行うことや、障害児学校のセンター的機能など、これまで私たちが要望してきた内容が一定程度盛り込まれた内容になっています。
 しかし、本報告には多くの問題点があります。「障害のある児童生徒の教育の基盤整備について(中略)量的な面において概ねナショナルミニマムは達成された」(同報告の「中間報告」2002年10月)ことを前提とし、「近年の厳しい財政事情等を踏まえ、既存の人的・物的資源の配分について見直しを行いつつ、また、地方分権にも十分配慮して、新たな体制・システムの構築を図ることが必要」という基本姿勢です。本報告は、@LD、ADHD、高機能自閉症への教育の対応は新たな条件整備を行わないまま、既存の障害児教育の資源を最大限活用するとした点、A固定式障害児学級と通級指導教室を廃止し、特別支援教室を置くとした点(障害児学級に在籍した子はすべて通常学級籍となり、発達と障害に応じた系統的な教育や子どもの発達に必要な仲間集団が保障されなくなる危険)、B盲・ろう・養護学校から特別支援学校にかえ、新たな定数措置をはじめとした教育条件整備がなされないままで、地域の障害児教育のセンター的役割を担わされる点など、多くの問題を指摘せざるをえません。
 
2.埼玉県のいわゆる「二重学籍」構想の問題点
 
 1月に突然、前知事のトップダウンではじまったいわゆる「二重学籍」問題は、現在、埼玉県特別支援教育振興協議会(以下、「特振協」)の場で論議が進められています。検討事項は「ノーマライゼーションの理念に基づく教育をどのように進めるか」を柱に、「@共に育ち共に学ぶための新たな教育システムの構築について」「A後期中等教育における一人一人のニーズに応じた専門教育の充実について」で、2つの小委員会と全体会がそれぞれ2回ずつ行われ、9月には「中間まとめ」、10月末には「最終報告」が出されることになっています。
 5月からはじまったこの「特振協」は、@前知事の意向のみが強調され、これまでの埼玉の障害児教育の到達点や課題、学校現場の実状が踏まえられていない点、A従来の「特振協」のメンバーから障害児教育関係者を大幅に削った点、Bこれまでの「特振協」は2年ほどかけて丁寧な論議を進めてきたにもかかわらず、今回はわずか半年で結論を出すという拙速で乱暴な進め方になっている点など、いくつかの重大な問題を抱えながら論議が進行しています。
 先日の小委員会で出された「中間まとめ」の素案は、国の流れと同様に、「お金を十分にかけていく」という視点がありません。教育条件整備をすすめないまま「支援籍」という名で障害児を通常の学級に在籍させる一方で、その内容が極めて不十分な「交流教育」の域を出ていないこと、LD、ADHD、高機能自閉症の子への教育に言及しながらも、具体的な手だてにはいっさいふれられていないこと、そもそも「ノーマライゼーション」を地域づくりや様々な条件整備と切り離し、個人レベルの「意識」の問題に矮小化していることなどなど、極めて不十分な内容になっています。さらに「現下の地方自治体の財政状況を考慮すると早急な解決は困難」であり、「教員の意識改革」で解決するという結論には大いに疑問を持たざるをえません。
 「教室不足」解決のために学校建設を盛り込んだ点は評価できますが、「平成20年を目途に3校、平成25年を目途に1校の計4校」では、「待ったなし」の深刻な状況の解決にはほど遠いものがあります。「ノーマライゼーション」をいうのであれば、障害児学校のマンモス化や長時間のスクールバス乗車などを解決し、適正規模化や小規模・分散化をすすめ、地域に密着した学校を積極的につくることを明記するべきです。
 
3.養護学校義務制25年の歴史は学習権保障の歴史
 
 障害児教育において何より大切なことは、学籍の動向や「理念」の優先ではなく、一人ひとりの障害児が、その発達と障害、特別な教育的ニーズに応じて学習権が保障されることで、そのことが最優先に検討されなければなりません。 
 1979年の養護学校義務制以前の障害児学校は、「教育の対象外」として多くの障害児にその門戸を閉ざしてきました。「一人で歩ける子」「情緒障害の重くない子」「教育可能な子」など、今日では信じられないような入学基準が設けられ、「基準にみたない」とされた子は入学することができませんでした。県内には養護学校が少なく、多くの子どもたちが都内までバスで通い、一足先に養護学校義務制を実施した東京の養護学校は「東京都立埼玉養護学校」といわれていました。そうしたなかで、父母・保護者、教員、関係者が手を結び、どんなに障害が重くても学校教育の保障をと、ねばり強い運動をすすめ、1979年の養護学校義務制を実現しました。
 その後も、「地域づくり」、学校建設、プールや体育館の建設、教職員定数の改善、近年では訪問教育の高等部保障などなどを、そして何よりも豊かな教育実践づくりを今日まですすめています。それはまさに、一人ひとりの障害児を成長・発達する主体と捉え、関係者が手を結び、十分な手だてと教育内容を保障することをすすめてきた歴史でした。
 障害のある子どもたちの実態は多様です。どの子も豊かに学び成長する権利、学校生活のあらゆる活動に主人公として参加する権利を持っています。養護学校義務制から25年が経とうとしている今日、「ノーマライゼーション」の名の下で、教育条件整備を十分に行わないまま障害児を通常の学級に無原則に在籍させることや財政的な支援のないままでの「転換」は、これまでの障害児教育の到達点を根底から覆すばかりか、障害児への重大な人権侵害といわざるをえません。ましてや、国や埼玉県がすすめようとする「新たなシステム」が、財政難を理由に教育の公的責任を放棄し「教育のスリム化」を押しつけ、「安上がり」の障害児教育を指向するのであるとすれば、見過ごすわけにはいきません。
 
4.今、必要なこと〜父母・保護者、教職員、関係者が力を合わせ、障害児教育・特別ニーズ教育のそれぞれの豊かな発展と、すべての子どもたちのゆきとどいた教育のために運動をすすめましょう。〜
 
 関係者が力を合わせて前進してきた障害児教育ですが、現状でも課題は山積みです。知的障害養護学校を中心とした極めて深刻な教室不足の解決、病弱養護学校の充実をはじめとした病弱教育の発展、医療的ケアを必要とする子どもたちが安心して学校に通えるための条件整備、障害児学級や通級指導教室の充実、さらには通常の学級に在籍する特別な教育的ニーズが必要な子どもたちの学習権保障などなど、どれも緊急の課題ばかりです。「一人一人の教育的ニーズに応じて適切な教育的支援を行う」のであれば、障害児学校も障害児学級も通級指導教室も、そしていじめや不登校、低学力など様々で深刻な問題を抱える通常の学校も、あらゆる「場」の教育条件を全面的に充実・発展させることが不可欠です。
 本日の集会で、大いに学びあい、語りあうとともに、きょうを契機に、父母・保護者、教職員、関係者がさらに力を合わせ、障害児教育・特別ニーズ教育の豊かな発展と、すべての子どもたちへの豊かな教育のために運動をすすめようではありませんか。